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【議論】前提がずれるので議論でヒートアップする件【好き?】

とあるお店の経営者さんと話していて議論になったので今日の日記を書きます。労働の対価は当たり前か、当たり前でないのかと言う議論だったんです。労働に対しての対価、お給料の事ですがそれは当たり前だと思わないで欲しいと言われていて違和感を覚えましたが結論から言うと議題の前提がお互いずれていて、労働者は真面目に労働しないというのが彼の前提で、労働者は常に努力していると言うのが私の前提でそこでお給料を貰うことが当たり前だと思わないでほしいという事に対して私が違和感を覚えたという事でした。

 

私の議論の前提:

これには育ってきた環境の違いがあると思います。努力する人に囲まれて育ってきた環境とそうでない環境。例えば人生の10代と言う重要な期間に努力できた人は何らかの成果を残します。それが甲子園出場とか国体出場とかもありますし、一般的には大学受験で結果を出します。難関とか準難関ぐらいの大学に入ると周りは努力ができる人に囲まれるので人間って凄い努力するんだなと考えるようになりますし、私はなりました。そういう人たちは社会人になっても努力を続け成果を残していきます。

 

彼の議論の前提:

10代で結果を出せなかった人は運も才能も関係しますが努力が足りない人だと思われてしまうのかなと感じます。例外はあるにしても一般的にそうかなと。そういう人たちはそういう人たちの職場で集まりますし、周りを見れば誰も努力なんてしてないじゃないか、人間は努力できないんじゃないか、怠ける生き物なんだと彼が考えるようになるのは当たり前かもしれません。

 

彼が言うには職場に来て怠けてたらお給料を払うに値しないと言いますし、それはそうだと思います。ここで上の2つの前提が出てくるのですが彼は人間は怠けるという前提で話しているのに対し、私は人間は常に努力するという前提で話しているから、私からすると職場に来て怠ける人なんていないと思ってしまい勤労しているのにお給料と言う対価を払わないとは何事だとなったわけです。

 

私の主観ですが労働者は勤労をする、資金面や売上については概ね経営者が考えるというスタンスが会社としてのバランスが取れていいのかなと思っています。経営者の指示を聞いて勤労する、労働者は勤労してお給料と言う対価を得る。よくパートタイマーを含む全労働者に経営者視点で考えろと言う経営者がいますがそれは経営者の仕事なので経営者の仕事放棄だと思います。

 

また勤労するのが当たり前、お給料を貰うのが当たり前と言う事が成り立たないと社会が混乱します。あなたは1時間働いたお金を売上無かったから払わないという経営者のお店で働きたいと思いますか?住宅ローンの返済や車のローンの返済だってあるかもしれないのに。私はそんなお店お断りします。お金を儲かる仕組みを作るのは経営者であって労働者はそれを実行する人たちですから。1時間の売り上げが作れないのであればお店の経営はやるべきじゃない。労働に対する対価を払えないのであればそれは奴隷契約であって人間扱いしてないんです。

 

話を戻しますが議論をするときに前提がずれるとお互いが何言ってんだろうとなってしまうことを初めて認識しました。これは良い勉強になった。今後議論をする時は前提を確認しながら話をしてみようと思います。