明日もこうして終わるんだね

楽しい事を探すブログ

努力と才能と努力する才能

Xで東大女子が「自分の努力不足を親ガチャのせいにするんじゃねー、馬鹿ども死ね」とまでは言ってないんですがそんな感じの事をポストしたようです、ソースは5ch。私も大学受験は高学歴の最底辺と言われる私大群に受かるぐらいの努力はしたつもりですが東大女子からするとクソな努力かもしれません。まぁそれでも浪人してからですが1日12時間は勉強してましたよ。それぐらいしないと受かんないんだよなMarchって。大学に入るにはある程度の努力は必要になるのは明白なんですが努力するってどのレベルと言うのが今回のお話。

 

これもXで見たんですが「高校偏差値30,40ぐらいの子がMarch行きたいって言うけど絶望的に無理」みたいな。なんで無理かっていうと集中できる時間が2時間とか圧倒的に短いからだそうです。1日自由な日があって死ぬぐらい勉強してみろと言っても2時間以上できないそうです。経験的に勉強に集中している時間が多いければ多いほど合格率は高まると思うので絶望的に無理ってのはそうだと思います。

 

集中力とか努力とかってやっぱり才能な気がしますよね。ちなみに私の親は東北大出てるので所謂勉強エリートですよ。その子供の私がMarchに受かるぐらいの努力が出来るのも親ガチャなのかなと思わざるを得ません。友達で偏差値30代の高卒がいますが彼らに1日勉強しろと言っても無理ですよ。例えば宅建の試験なんて400時間もやれば受かるのにそれが出来ない。宅建の合格率を見ればわかりますよねそれが努力不足とか言うのもおこがましいかなと。東大行ける努力が出来る人はそういう資質や才能が有るんでしょうとしか言えない。環境もそう。

 

努力ができない資質や環境の人に「努力不足だ!怠け者!」って言うのは違うのかなーって思い始めています。知人に低偏差値大学を卒業しバーテンダーをやってるのがいるんですが彼が努力していないというよりも努力できない環境に置かされてしまっているという方が正しい気がします。バーテンダーと言う職業上給料もそんなに高くなく、なら努力して何らかの資格でも取って転職しろよと言いたいのですが、彼には介護している両親がいて家も裕福ではなく毎日の生活に追われているのが現状。そんな彼に努力不足と言うのはあまりに酷じゃなかろうか。

 

才能や資質のせいばかりにしたくないですがそういった一面があるのも否定できない。ただだからと言って努力をしないで親ガチャだけで話すのも筋が通らない。やれることをやれるだけやるというのが正解に近いのでしょう。